めっとらいふぽてと

覚書で雑記でアフィブログ。

生存報告 20181126~森見登美彦「夜行」の話/後から効いてくる歌の話/ハンバートハンバートの話~

今日も生存報告を書きます。

 

こういうのを惰性で気の赴くままに書いてるんですけど、こうやって書いてると今日という日が虚無な一日ではなく、ちゃんと何かのある日だったということが分かって精神にいいです。続けていきたい。

 

森見登美彦「夜行」の話。

確か直木賞か何かの候補作になったという氏の本作。数週間前に読み終わっていたことを思い出しました。

正直言うと全体としては微妙......でした。全体の構成として、夜行という連作を巡る旅の話が章ごとに分けられてて、連作の謎の核心に迫る......という内容なのですが、それの多くがちょっとホラーテイストで不気味な旅の内容に割かれていてなかなかページが進まない。

終盤で夜行の謎が明かされようとする中の夜の美しさの表現が素晴らしくそこだけで評価するとかなりレベルの高い文章なのだとは思いますが、全体的に難解な印象を受けるかと思います。

僕みたいに夜ばっかり起きてて夜が大好きな人にはお勧めできるかもしれません。最後らへんを読みすすめている際に頭の中に浮かぶ夜の映像は素晴らしく美しいものになるかと。

 

・後から効いてくる歌の話

この前の記事でも先日の宇多田ヒカルの公演の話をしたばっかりだと思うのだけど、彼女の歌がまだずっと頭の中をめぐっている。

音楽にはその瞬間瞬間で効いていく即効性のものと後から効いてくるものがあって、歌というものはかなりの割合で後者に含まれるのかもしれない、という妄想を最近しているが、音楽全般に対する分析としてはよくわからないが、歌に対する分析としては間違っていないのかもしれないなとこの記事を書きながら感じている。

公演の時、「私の歌を自分の思い出とか、経験とかと照らし合わせて歌ってください」という風に言っていた記憶がある。(細かい文章はあいまいです)そういった風に、歌というのはそれ単体で生きるのではなく、人の心の中で育っていくのかもしれない。

 

ハンバートハンバートの話

先日、ハンバートハンバートの公演に行った。(ライブに行きすぎでは?)最近、音楽を食べるようにして生きてる気がする。ドラムの音からはビタミンCが取れるのでは?

それはさておき、ハンバートハンバートに関しては以前奇妙な縁でライブにご招待していただいて(当時のことがなければ今回のような出会いはなかったので本当に有難かった)その際生で音を聞いてそれからもうぞっこんだった。ほとんどその人の曲を聞いていないのにひとめぼれことは大いにしろ、あれほど無知な状態で演奏を聴いて惚れ込むことはそうそうないと思う。

去年聞いた歌に「バビロン」という曲がある

手をつなぐ 殴りあう

口づける 唾を吐く

愛し合う 殺しあう

添い遂げる 焼き尽くす

 夫婦二人デュオから奏でられるある意味無機質で残酷な歌詞を聞いて、そのグロテスクだけど血の匂いが一切しないような世界観に一気に引き込まれた。欲求や破壊に正直なのに血なまぐさくなくて、肉体の伴わないコアの部分のみを描いている不思議な感覚。

そういうところがなんとなく「感じがくるりに似てるな~~」と思ったら二組に交流があるらしくびっくり。

なるほど~~~と思いながら見ていました。

佐藤さんが対談中に

「歌詞から先につくることは殆どなくて、リズムを先に意識して後付けで歌詞を書きます」という大方の予想とは反したことを言っていることにもなんとなく納得。たぶん、一発演奏を聴いて惚れ込んだ気持ち良さはそういうところから生まれる緻密な音楽性から成り立ってるんだろうなぁ、と思いました。

それはともかく良いです。家族交進曲がお勧めです、どうぞ。

 

 

メンヘラな精神分析でも書くか、と思っていたのですが音楽の話をすると饒舌になるので良いですね、続けたいです。