めっとらいふぽてと

覚書で雑記でアフィブログ。

正しさという呪い

僕は正しく生きていきたい。そう思っている。

 

多分皆がそう思っているし、自分が正しさから外れた生き方をしたいと思っていても、「自分が思った正しさから外れたい」という意味で潜在的に一方向を向いているのだから、同じようなものだ。

とにかく、僕は僕の信念から逃げることは出来ないのである。

 

こんなことを思ったのは、ついさっき、バイト先で店長と言い合いをしたからだ。

別に大したことはない。深読みに深読みを重ねられたので勘弁してくださいと言い続けただけだ。でも向こうは僕をクビにする権利を持っているし、僕の狙い目である時給も握っている。帰れと言われていやまかない食わせてくださいと言うのも馬鹿馬鹿しいし、言われるがままに帰ってしまった。労働者は雇用主に対して圧倒的に無力だ。

 

正直悔しい。僕はあまり仕事のできるほうではないし、一部の人間からしか好かれないような"ニッチな"人格の持ち主だ。生きるとしたら"アングラ"と呼ばれる方向でしか生きることが出来ないだろうし、一般的な出世は恐らく無理だ。人間向き不向きがある。人とのコミュニケーションで世の中をのし上がるのは無理だ。面白さとか、自分の信じる正しさだとか、そういったものを武器にするしかないし、自分の"オタク"なところを生活で生かしていくしかない。

 

そんなことを考えていた。結局は僕はクビになるし、多分バイト先では非難されると思う。多分僕の"負け"だ。このゲームで勝つ方法は、自分の正しさを曲げるしかなかった。

 

だが僕は曲げられなかった。これはある種の呪いだと思うし、ほぼ確実に治らないと思う。僕は絶対に自分を変えられない。ずっと思っていたことを久々に目の前に突き詰められてしまった。

自分を変えるのは他人だし、その他人もこの歳になってしまうとある程度固定化されてくる。やはり自分に必要なのは変革ではなく、その性質の理解であり使いこなし方なんだろうな、と思いながらぼおっとしている。

 

社会にほおりこまれる前の、社会力も経済力もない僕だからこそ、強くなりたいとハッキリと思った。正しさを曲げずに相手に勝つ、正しさを曲げずに、そのまま人を守れるようになりたい。

偉くなるモチベーションって、そういうことなのかもしれない。