めっとらいふぽてと

覚書で雑記でアフィブログ。

生存報告 20181123~メンタルログ~

はい、生きています(twitterを見られている方々が殆どだと思うのでご存知でしょうが)

最近の生活として、家に帰った瞬間なんだかすべてを放棄して何もできなくなるというのが殆どで参っています。かといってそんなに家を出ている訳でもないですが。

そんな感じの中、うちの遠いのか近いのかわからない縁のヲタクの先輩が自分のメンタルをつらつらと書いているブログを見かけたので自分の書いてみようと思います。

この前行った公演の話とかサッパリ書いてないな........

 

3:31書き始め

 

今は大したことはないのですが、ただ一人で部屋にいるとなんだか自分の感情が信じられなくなって恐ろしくなるような経験が最近なんだか増えている。どんどん自分の中にある欲望が大きくなって、破裂するような感覚。

 

居酒屋でバイトするようになって、色々常連さんとコミュニケーションを取るようになってきて、そこからどんどん自分のコミュニケーションの欠点が浮き彫りになってくるようになってきた。

人の目を見て話せない。"無"から会話を生み出せない。

"好きなものを媒介してやっと会話ができる人"がオタクなのであれば僕はオタクなんだろうと思うけど、それでいいのか?

新しいものが好きな性分で、ずっと新しい人を見つけて新しいことをして新しいものをみてやっていきたいと思ってるけど、それが具体的に何につながるかというビジョンが大学3年の時点で全く見えていない。

社会に出てうまくやっていけるのか?というただ漠然とした不安が残る。

自分の持っている思いや願いがずっと続くかも理解できない。どこも保証できない。かと言って今何かがあるかと言われるとなにもない。

 

あと、最近別離の話をよく考える。今知りあっている人たちは比較的僕の理解者で、その優しさに使っているうちは心地よいし楽しいけどそれが果たして良いことなのか?ということについて。自分がどうありたいのか、どうあるべきなのか。新しいものを見るためにはきっとこのコミュニティからも離れないといけない。必要な別離。脱皮。

 

思えば高校のころからそうやって生きてきた気がする。大学を受験する際、殆ど今までのコミュニティから離れて(数人執着してしまった人たちがいたが。申し訳ない。)新しい友人を作っていた。そうやって自分からすっと離れていって新しい居場所を作って生きていくのは良いことなんだろうか。なんだか非常に薄情で自分の目的のために安易に人間関係を切り捨てる残酷な判断ではないか?

 

最近、自分の生活の破綻を目の前にして、過去の思い出から自分の歪みが根本的であることをつくづく感じさせられる。

某症状に関してもそうだったが、そう感じさせられると自分のこの歪みが一生治らないものである絶望的なものであるように感じさせられる。

このまま生きていけるのか?とりあえず息をするのが楽になるまで落ち着くのが最優先だと言い聞かせ、毎晩眠りにつく。

 

書き終わり 4:38