2つのUKバンドにまつわる映画の話
※ボヘミアン・ラプソディとOasis:Supersonicのネタバレがあるかもです。視聴後の閲覧をば。
※和訳はめっちゃ適当です。あとUKロックにわかなので容赦して下さい。
こんにちは。めっとです。
最近は昼夜逆転や生活の崩壊が激しく、人間としての形を保っている感じがしません。でもあまり後悔はしていないというのが本音です。今まで、どこかで誤魔化しつつうまくやっていたのが表面化して、うまく行かなくなっただけのことなので当然のことなのでしょう。問題はここからどうやって復活するかですね。
僕のメンタルの話はさておき。先日はOasis:Supersonicを、昨日はボヘミアン・ラプソディを見てまいりました。そんなUKバンドウィークな今週。OasisもQueenもにわかな僕がつらつらと見ていた所感を書き連ねていこうと思います。
Oasis; Supersonic
ガチOasisにわかですが楽曲はたまに聞きます。
Wonderwallのイカした弾き語りや美しいストリングスのアレンジ、Don’t Look Back In Angerのなんとも言えないエモい感じとかは厨房の頃から耳馴染みでした。
この映画は、ボヘミアン・ラプソディとは一風違ったドキュメンタリー形式で進んでいきます。ほぼ全てが過去の映像。そこを切り貼りしつつ、本人たちのインタビューを載せつつ描いたドキュメンタリー映画です。
ドキュメンタリー映画なんてファンが見るもんじゃん!!と言われるかもしれませんが、ちょっと曲は聞いたことあるな〜って人たちも置いてけぼりにしない構成になっています。なんといってもバンドのメインは曲です。ドキュメンタリーはCDのリリースやライブを主軸にして語られているので、一般の人も退屈せずに見られると思います。だからこそ、曲の生まれた背景を知れるという意味でこの映画はかなり良いものだと思います。
また、このバンドの歴史を知るとともに、Don’t Look Back In Angerへの思い入れがどんどん強くなって行くなという実感が自分にあります。
この曲の歌詞に
So Sally can wait, she knows its too late
As were walking on byサリーは待っててくれる、
俺たちが一緒に歩いていくには手遅れだと知っていても
Her soul slides away, but don't look back in anger
I heard you say彼女の魂は去っていく、
でも「昔の話に怒るなよ」って言ったのが聞こえたんだ
という一節があります。この曲が生まれたのは2ndアルバムの頃ですが、彼らはその頃から無意識のうちにこれから起こるバンドの破滅を知っていたのかもしれません。最初は小さな好き勝手やっていたバンドマンだった彼らが一瞬にしてスターになり、そして活動をやめるまでの流れはまさに青春と言って差し支えないと思います。どんなに頭の良い人が再現しようとしてもできない、そんな勢いがロックンロールなのだと実感させられます。
ボヘミアン・ラプソディについて
今回は奮発してDolby Cinemaで見ました。(博多駅TJOYに日本初上陸したアレです)。Dolby Cinemaの効果はエゲツナカッたです。そもそもViVidな発色の良さが段違いだったり、スクリーンがブラックアウトした時の暗転具合が凄かったり(安いプロジェクターだと黒が白んだりするんですよ)、ライブシーンの歓声の実在感が凄かったりしました。福岡県の方は是非行きましょう。きっとロングラン上映されるでしょう。(されてくれ。)
サントラもいいぞ。聞いてくれ。
Dolbyのレポはこんくらいで。IMAXの体験回数も対したことないので上手いよう比較して言おうと思っても無理でした。TJOYというと電車の振動が伝わってきたりと余り良い印象がなかったのですが、Dolbyのスクリーンは信頼できそうです。ちゃんとデカかったし。
さて本題に。Oasisの映画と違ってこちらはQueenの活動を元にした創作映画です。(語弊があるかもしれませんが、史実と若干の改変があるのです)この映画の主人公はQueen、というよりそのフロントマンであるフレディー・マーキュリーに絞られます。Queenのパフォーマーとして活躍する半面、自身のセクシャルマイノリティ的な性質に悩み、自身の本当に大事なものを見失っていく中、様々な葛藤を乗り越えQueenのフロントマンとして再び立つ、というのが主なストーリーラインです。
この映画、皆さんが言われるようにラスト十数分のライブ・エイドにおける再現ライブシーンの出来が素晴らしく、その映像美が多くの人を惹き付け大ヒットに至っています。
このライブシーンの締めがえげつなさすぎたせいで5000兆点!!!と言われがちなのですが、個人的にはフレディー・マーキュリーのドラマに対する掘り下げが若干物足りなく感じました。(尺として仕方ない部分はもちろんあるのですが)
フレディがQueen以外の他者へ自身の肯定を求めすぎて、所謂灯台下暗し的な孤独感にさらされ、酒やドラッグ、不埒な関係へとズブズブと堕ちていく描写は十分なされていて、そこまでは感情移入しやすいストーリーラインだったのですが、そこからQueenへと戻るまでの描写が急激すぎて若干の違和感を覚えました。急になぜQueenという家族の重要さに気づいたのか。そこへのロジック詰めが甘いように感じました。
後にフォロワーにフルで聞けと言われたSomebody To Loveにもこうあります。
Oh Lord
Ooh somebody - ooh somebody
Can anybody find me somebody to love ?ああ神様、誰か、誰か、誰か僕が愛する人はいないの?
フレディの孤独は、彼がセクシャルマイノリティだからというわけでもなく、彼のように他者を愛することに不安を覚え、かつ自分の肯定を他者に求めてしまう人全員に当てはまる孤独だと思います。それをQueenは家族だから、の一言で埋めてしまっては……というところだけ気になりました。フレディという人間のドラマをもっと掘り下げて聞きたい。
グチグチとドラマ性について文句を言ってしまいましたが、そんな細かいことはQueenの曲がぶっ飛ばしてくれるので大丈夫です。ライブシーンで観客が合唱するの、理由はわからないんですけど凄くグッと来るんですよね。Queenの歌はQueenのもの、ではなく、その歌を聞く僕らのものなのだと思います。
サントラも良いです。是非に。
というわけで今日はこのへんで。